昨日のブログに対するコメントで
「感覚がわかる」のと「効率」は相反するのでは?
という意見がありましたので、私見を書きます。
私の感覚では、相反するとは思えません。「効率」を「何の効率」と取るかによるのですが・・・
私の場合、いつも撮影に行くと、容量が多いがために、1日で300枚は撮ります。そのうち、あきらかな失敗写真は数枚です。あとは気に入るか気に入らないかですが、それを300枚からよりわけるのは、ものすごく大変です。
逆に、容量が少なく、撮影できる枚数が少なければ、撮影時に無駄なシャッターを切らないように、かなり注意します。フィルムの時はそうでした。結果的に、気に入る写真が出てくる確率も高くなります。後で選別するときの効率は、デジカメになってからの比ではありません。
つまり、撮影に行ったときは、確かに大容量であれば残量を気にせずに撮れるし、いちいち入れ替える面倒から解放されるのですが、これは家に帰ってから地獄を見ることを意味しているわけです。
確かに、フィルムの時代には1日で36枚撮り3本、つまり100枚くらいしか撮影しませんでした。より分けるのも楽でした。デジカメになって、シャッターを切る回数が3倍になっているわけですね。
ですから、私ももうちょっと不便にしてみた方が良いかも・・・と思うようになってきています。その方が、全体的な効率は上がる、ような感じがしているわけですね。