当たり前の話ですが、1年ぶりのSF大会です。今年は「第47回 日本SF大会 DAICON7」ということになりました。お久しぶりの方々も多くいますし、宇宙作家クラブのメンバーやCONTACT Japanメンバーも含め、ちょくちょくお会いする方々も。

さて、そんなわけでDAICON7の参加レポートを書いてみたいと思います。

 

2008/8/22(Fri)

SF大会に先立つオプショナルツアーが行われました。今回のツアーは「大阪の陸、水、宇宙、地下を網羅する」みたいな感じのツアーでした。スケジュールは以下のような感じです。

13時  シティプラザ大阪集合
13時半 水陸両用バス「チャレンジャー号」で大阪遊覧の旅へ
15時頃 大阪市立科学館着。自由行動
17時  全天動画上映会
18時半 「堀晃と行く梅田地下オデッセイ」 スタート
19時半 懇親会

まずは堺筋本町駅から少し歩いたところにある「シティプラザ大阪」へ。ここに13時までにたどり着くため、7時前に本厚木の家を出発。小田急で小田原に向かい、そこから8時9分初の新幹線「ひかり」で新大阪まで向かいます。新幹線の中では相変わらず仕事をやっていたわけですが。

さて新大阪に到着しますと、先月と異なりかなり涼しくなっています。あとで訊いてみると盆明けからは涼しくなっていたのだとか。これはありがたいと、大阪駅付近で買い物をしたあと、徒歩で大阪市立科学館に向かいます。夕方には再度やってくるわけで、私の名前でいろいろと申し込んでいる兼ね合いもありますから挨拶しておく必要があるだろうと。

その後、一旦大阪事務所に立ち寄って必要なデータを引き渡したあと、徒歩でシティプラザ大阪を目指します。

 

ここで堀晃氏とばったり。ちょっと話をしたあと中に入り、受付を済ませます。スタートは13時半という事でしたので少し待ち、やってきた水陸両用バスとやらを皆で撮影しまくり、と。

 

基本はトラックだそうで、それを水陸両用に改造したのだそうです。名前は「チャレンジャー号」。たぶん私だけではなく、ツアー参加者全員の頭の中をイヤな予感がよぎったことでしょう。何故って?そりゃ、1986年に打ち上げ直後に爆発したスペースシャトルが「チャレンジャー号」だからですよ。うーん、脱出方法だけはちゃんと確保しないと、とか(苦笑)。

35名の参加者を乗せ、シティプラザ大阪を出発した「チャレンジャー号」は大阪城の周りを回りながら、大川に面する毛馬桜之宮公園へ。私が毎年、桜の花見に行くところです。その途中、大阪城が建物の間からチラチラと見えます。

「チラ見がいいんです」

とは、バスガイドさんの弁。何度か大阪城をチラ見していたら、そのうち

「次はサービスです」

とのこと。ふーん、まぁ何回もチラ見たからなぁと思っていたら、その場所にはガソリンスタンドがあり、「サービス」という看板の向こうに大阪城がっ!ちょっとヤラレタ感が漂い、車内でもウケていました。

さて、毛馬桜之宮公園に到着した「チャレンジャー号」は、その一角から大川へざぶん!

 

約30分ほどのクルーズを行います。

 

再度陸に戻り、そこで小休止。皆して運転手さん達を取り巻いて質問攻めにします。

「エンジンは水上、陸上で共用なのか?」

「船体はどのようになっているのか?水上ではタイヤは云々・・・」

などなど。写真を撮る場所ももう普通の観光客と明らかに違います。やたらめったら車体構造を撮りまくりです。

 

まぁ、私もあんまり他人のことは言えないわけですけどね。スクリューとか撮ってるし、運転席も何枚も撮ったし。

 

再び走り出し、15時過ぎには「大阪市立科学館」へ。

 

ここで、閉館までの間は自由行動となります。メインは閉館後ですから。何人かはプラネタリウムを見に行きます。その他のメンバーは展示場をふらつき、1階の古い工業製品を展示しているコーナーで

「きっとみんな、ここに来ると『これ持ってる』とか『なつかしー』とか言って、動かなくなるんでしょうねぇ」

と何人かで喋っていました。すみません、私も動かなかった一人です(苦笑)。

 

閉館後は再度プラネタリウムドームに移動し、バーチャリウムIIのデモ映像などを見たあと、「かぐやの打ち上げ動画」を笹本祐一氏の解説と共に見ます。その後、氏が田代試験場で撮影してきたH2B用のLE-7Aを2機束ねた燃焼実験動画の上映、そしてこのあとに続く堀晃氏による梅田地下街の話などがありました。

 

そして「堀晃と行く『梅田地下オデッセイ』」。私を含めた数人は不参加でしたが(私は仕事をしていた)、ほとんどの人が参加。最後にお待ちかねの懇親会へとなだれ込みました。

 

いやいや、楽しい一日でしたが、翌日に控えたシノプシスと簡易シナリオのアップは出来るのか?そしてメールマガジンは無事に出せるのか?などなどの不安も同居した状態で翌日、第1日目へと続くのでした。